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四国きってのスポーツ名門校として知られる高知県の明徳義塾高等学校。今回はそんな名門校の野球部監督馬淵史郎(まぶちしろう)さんの知られざる一面にスポットを当てます。
馬淵史郎さんは1990年から明徳義塾高等学校野球部の指揮を執るベテラン監督。2002年夏の甲子園で同校を優勝に導いた“名将”であり、たくさんの伝説や名言をお持ちの人物です。
一方、若いころから様々な経験をされ面倒なことを買って出る性格でもあり、野球関係者のみならずたくさんの方から慕われる方でもありました。
では、馬淵史郎監督の妻(嫁)や娘・息子等の家族!年収や若い頃と名言!と題し、馬淵史郎監督の人物像に迫りたいと思います。
ぜひ最後までお付き合いください。
Table of Contents
馬淵史郎監督の妻(嫁)
馬淵史郎さんとはこちらの方。2022年夏の大会では、明徳義塾高等学校野球部を3大会連続、22度目となる甲子園出場へと導いています。
そんな馬淵史郎監督の妻(嫁)は智子さんというお名前で、明徳義塾堂の浦キャンパス英語科の教師をされているとのことでした。
明徳義塾の学報『たんぽぽ』では、お若い頃の写真が掲載されており
「厳しく、そして優しいお母さんのような存在。ずーっと前は剣道部の顧問でした」
というキャプションが添えられていました。確かにお写真では厳格そうな感じにお見受けします笑
実は馬淵史郎監督は2005年、部員の不祥事により野球部監督から離れた時期があります。ちょうどその頃、智子さんは大きな病気を患ったという情報もありました。当時はダブルのショックに苦しめられたんですね。
智子さんの年齢などの詳しい情報は見つけることができませんでしたが、きっと芯の強〜い監督夫人なのではないかと想像します。
馬淵史郎監督の娘
馬淵史郎監督の娘についての情報はなく詳しいことは不明です。
実はこんな噂も…
南女→甲南女子大?
こちらの方が「馬淵」姓ではありますが、裏付ける証拠は何もなくなんとも言えません。
馬淵史郎監督の息子
馬淵史郎監督の息子さんは拓殖大学野球部監督の馬淵烈さんです。
馬淵烈さんは父が監督を務める明徳義塾高等学校野球部でプレー。3年生時は主将でありエースピッチャーを任されてもいましたが、高知大会決勝で高知高等学校に敗れて涙をのみました。
その後、拓殖大学→シティライト岡山でプレー。2020年から母校・拓殖大学で野球の指導を行っています。
馬淵烈さんは1989年6月5日生まれの33歳。(2022年7月現在)4yearsの記事では中学時代に「監督の息子」であることの葛藤があったと綴られています。
「スーパー先生権力、って言われてましたね。高校生ならまだ精神的に大人になってますけど、中学生のメンタルでは、処理しきれなかったです」
そんな馬淵烈さんですが、巡り巡って父と同じ野球の指導者の道へと進んでいます。
高校と大学ですから、グラウンドで直接対峙することはないでしょう。ですが、心のどこかでお互いの動向は気にされているのではないでしょうか。
馬淵史郎監督の家族
馬淵史郎監督のご家族は、もし娘さんの存在が間違いないのであれば妻(嫁)と子供2人の4人家族。また、馬淵史郎監督ご自身は3兄弟の三男だそうです。
実は「馬淵」姓にまつわる複雑なエピソードがありました。
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馬淵史郎監督は元々、中本家の三男。「馬淵」姓は母方の姓でした。中本家と馬淵家の間では結婚当時、いずれ子供に馬淵家の家督を継がせるという約束があったのだそう。ただ、姓を変更するのは手続き上簡単ではない…
そこで秘策が飛び出します。ご両親がいったん離婚。馬淵史郎監督が問題なく母方の「馬淵」姓となった後、ご両親は再びご結婚されたそうです。
馬淵史郎監督は愛媛県八幡浜市のご出身ですが、そんな事情で「馬淵史郎」というお名前になったんですね。
馬淵史郎監督の年収
馬淵史郎監督の年収は明確に明かされているわけではありません。ですが、独自に計算した結果推定600〜800万前後ではないかと思われます。
馬淵史郎監督は明徳義塾高等学校の社会科教諭をされています。明徳義塾中学・高等学校教職員募集要項を参考にすると「基本給18万円〜+手当(役職、部活など)」とのこと。
また、侍ジャパンU18代表の監督や講演会の講師などもやられています。その分の報酬なども加えられるでしょう。(※金額は不明ですが…)
あくまでざっくりですが足し算してみると、600〜800万前後はありそうな気がします。
馬淵史郎監督クラスの有名指導者になると、さらに上の額を頂いている可能性もなくはない?
馬淵史郎監督の若い頃
ここで馬淵史郎監督のプロフィールを簡単にご紹介しておきます。
- 生年月日:1955年11月28日(2022年7月現在66歳)
- 出身:愛媛県宇和島市
- 学歴:三瓶高等学校〜拓殖大学
- 職歴:松山物産〜松山ガス(野球部部長)〜阿部企業〜明徳義塾高等学校(野球部監督)
現役時代は内野手として活躍。1986年の社会人野球日本選手権では、阿部企業の監督として準優勝を経験しています。
毎日新聞のサイトでは阿部企業時代の馬淵史郎監督が若かりし頃の写真をご覧いただけます。ぜひご覧になってみてくださいね。(※毎日新聞)
馬淵史郎監督は当時30代。長男・烈さんの現在の姿とそっくりですよね。それより選手のみなさんと比べて一段と小柄なのが気になる!
馬淵史郎監督の名言
馬淵史郎監督は非常に反骨精神にあふれた方ですから、その言動にも力強さがあり、これまでにたくさんの名言を残されています。馬淵史郎監督に関する書籍、田尻賢誉著『明徳義塾・馬淵史郎のセオリー』(ベースボールマガジン社)をベースに、いくつかピックアップしてみました。
明徳義塾と甲子園というと、1992年の「松井秀喜5連続敬遠」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。当時は猛批判されましたが、強い相手に勝つために全ての知恵とエネルギーを注ぐ人物なんです
- 「スポーツで汚いだなんていうて、ルールの中でやることを論じちゃいかんのよ。そんなことを言ったらスポーツにならん。だいたい盗むや刺すや殺すや死ぬやという言葉が出てくるスポーツは野球だけなんよ。ただひとつ敬うという言葉が出てくるけど、それは敬遠」
そんな戦術にも確固たる信念があります。
- 「監督がデータのないギャンブルをしたらいかんのよ。データもないのに差s苦戦出したら、ただの賭けでしかない。指揮官は常に選択を迫られてる。間違ったら全員が失敗する。セオリー、確率、経験、選手の力関係…すべてが判断の基準」
- 「作戦によって勝敗が変わるから、高校野球は面白いわけですよ。だから敬遠もありなんです。何とかして強い相手に勝つ方法を考える。リスクを負って作戦を考え、勝つために1%でも確率が高い策を選択する」(※Edge、2022年1/2月号)
反骨精神を持って勝ちにいくことの重要性を強く意識させる点も特徴的ですね。
- 「いい選手を獲ったら勝ち、獲れなかったら負け。そんな野球は高校野球じゃないんよ。身体が小さくても守ってつないで、ちょっと知恵使うたら優勝できる可能性もあるというのが野球」
- 「負けてもええやと思って高校野球をやったら、何も成長しない。勝とうとして負けたときに初めて成長するんですよ。負けることの方が多いんや、人生は」
他にも「(競争による)摩擦がエネルギーに変わる」「非合理なことをやると精神力がつく」「一回地獄を見たヤツは強い」「(批判的な意見に)言いたいヤツには言わせておけ。どうせ書いてるのは野球のわからんヤツや」などなど。
豪快かつ思慮深い言葉の数々に思わずうなってしまいます。
まとめ
今回は馬淵史郎監督の妻(嫁)や娘・息子等の家族!年収や若い頃と名言!と題してお送りしてまいりました。
- 馬淵史郎監督の妻(嫁)は智子さん、明徳義塾高等学校堂の浦キャンパス英語科の教師です。
- 娘についての情報はありません。長男は拓殖大学野球部監督の馬淵烈さんです。
- 年収は実際の金額は不明ですが、600〜800万円前後と推測してみました。
- 阿部企業の監督時代には社会人野球日本選手権準優勝の経験をお持ちでした。
という結果となりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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