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角界の“鉄人”といえばこの人、大相撲片男波部屋の力士玉鷲(たまわし)関です。
玉鷲関はモンゴル・ウランバートル出身で、小気味良い突っ張りと破壊力満点の突き押しが魅力。連日土俵を沸かせている人気力士のひとりです。
2004年に初土俵を踏むと、幕内最年長力士となる現在までずっと土俵に立ちつづけている、とんでもなくタフな力士なのですが、そんな玉鷲関を支えているのが家族の存在だとか。
今回の記事では玉鷲の姉や家族!学歴(高校と大学)や経歴!と題して、土俵から降りた玉鷲関の姿にスポットを当てていきたいと思います。
ではぜひ最後までお付き合いください。
Table of Contents
玉鷲の姉
玉鷲関は普段はすごく優しい感じの、笑顔が素敵なお相撲さんです。土俵上とは全然違う一面が垣間見えますので、こちらのインタビューをぜひご覧ください。
そんな玉鷲関の姉はなんと東京大学・大学院で学ばれた才女なのでした。お名前はバトジャルガル・ムンフズルさんといわれます。2019年に玉鷲関が優勝された時の報道では、年齢が36歳となっていました。
ムンフズルさんは2007年に大学院を修了。その後モンゴルに戻り高級住宅を契約販売する会社で専務取締役を務めるなど、 キャリアウーマンとして活躍されているそうです。
超優秀な方なんですね。
ちなみに、大学院在学中にはハワリンバヤル(モンゴル春まつり)の俳句大会を主催されたこともあるそうで、当時の関係者のブログにこんな一句が残っていました。
星の数ひつじの数が野心かな
ちょっとドキッとするのは私だけ?
また、玉鷲関が学生時代、東京にいる姉を頼って来日。それが角界入りの転機となったというエピソードもあります。玉鷲関の人生にとって、非常に重要な人物でもあるんです。
玉鷲の家族
玉鷲関は奥さん・エルデネビレグさん、お子さん2人(長男・テルムンさん、次男・エレムンさん)という4人家族です。また、モンゴルにはご両親(父・バトジャルガルさん、母・ツェンドゥスレンさん)とご兄弟は姉が1人いらっしゃいます。
玉鷲関が「鉄人」と言われる所以は、初土俵から1日も休んでいないことにあります。(※2022年9月場所終了時)ただ休んでいないだけでなく、幕内上位に定着したびたび優勝争いに顔を出しているところがまたスゴイんです。
そんな玉鷲関を支えているのが家族の存在。冒頭のインタビューではこちらのように語っていました。
「場所を終わって家族と出かけることがモチベーション。買い物とか川行ったり、海行ったり。楽しみ!」
玉鷲関が15日間乗り切る馬力は、こんなモチベーションから生まれてくるんですね。
ちなみに、奥さんの弟はエルデンビィールグ・エンクマンライさん、同じ片男波部屋に所属する玉正鳳(たましょうおう)さんです。義理の弟とはこんなシーンも。
【片男波部屋朝稽古】
スクワットする幕内最年長・玉鷲(右)と、完全に重りになりきる幕下・玉正鳳 #sumo pic.twitter.com/oQlY4GkoQC— 竹内夏紀/報知新聞社 (@hochi_takenatsu) July 5, 2022
これもひとつの家族愛でしょうか。
玉鷲の学歴(高校と大学)
玉鷲関の出身高校・大学名は不明ですが、モンゴルの大学(食料技術大?)で学ばれていたとの情報がありました。ただ、これ以上の情報はなく、特定はできませんでした。
玉鷲関が初めて来日されたのが2003年、18〜19歳くらいの頃。つまり大学生時代。前項でもご紹介した通り、相撲部屋からのスカウトだったり日本の高校に相撲留学するための来日ではなかったんです。
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ということで、入門前までモンゴルで勉強されていたことはわかります。冒頭のインタビューでも「ホテルマンになりたかった」と言われていたので、そうした関連の勉強をされていたのでしょうか。
片男波部屋の入門が決まり、大学は1年半で退学されたそうです。
ちなみに、玉鷲関は学生時代、体力には自信があったものの本格的なスポーツ経験はゼロ。テレビで旭鷲山の取組を見るくらいだったのだとか。
玉鷲の経歴
玉鷲関は実は来日されるまで、相撲とはまるで縁のない人生を送られていました。10歳頃から始めた料理がすごくお好きで、子供時代の夢はシェフになること!
【玉鷲からのメリークリスマス!】
料理上手の玉鷲が、
かわいい手作りクリスマスケーキを作りました⭐️日本相撲協会公式チャンネル
▶️ https://t.co/qEdnaXnLsp#相撲 #sumo pic.twitter.com/FWC58umhAH— 日本相撲協会公式(九月場所 いよいよ千秋楽!) (@sumokyokai) December 25, 2021
来日前はホテルマンになるべくモンゴルの大学で勉強されていましたが、留学中の姉を訪ねて来日された時に人生が一変します。
雑誌『相撲』のインタビュー(2007年)ではこちらにように語っています。
「(両国を訪ねて)相撲部屋から稽古の声が聞こえたんです。モンゴル人の力士がいたので、入門したいと相談したら、旭鷲山関の連絡先を教えてくれました」
教えてくれたモンゴル力士は後の横綱・鶴竜(現鶴竜親方)でした。これで相撲との奇跡的な縁がつながりました!
モンゴル出身力士の多くは親族や相撲関係者づてにスカウトされたり、日本に相撲留学されたりといったケースがほとんど。玉鷲関のようなケースは非常に珍しいと思われます。
とはいえ、生まれた時は4800グラムのビッグベイビー!力士向きの立派な体であったことは想像できますね。
参考までにこちらは約10年前の姿。すでに立派な体格ですが、これを維持しつづけているのがスゴすぎます。
そして、初土俵から15年、ついに幕内最高優勝を果たし、大相撲の頂点に立ちました。同日に第二子が誕生…奇跡的な出来事が再び起こります。
1984年11月16日生まれの玉鷲関。2022年9月現在、もう幕内に玉鷲関よりも年上の力士はいません。それでもまだまだ進化し続ける玉鷲関。2022年9月場所には自身2度目の幕内優勝を果たします。
こちらは鶴竜親方からのお祝いメッセージ!
— KRS71 (@KRS71official) September 25, 2022
継続中の通算連続出場記録だけでなく、どこまで番付を上げていけるのかにも注目が集まっています。
まとめ
今回は玉鷲の姉や家族!学歴(高校と大学)や経歴!と題してお送りしてまいりました。
- 玉鷲関の姉はバトジャルガル・ムンフズルさん。東京大学・大学院修了後、キャリアウーマンとして活躍されています。
- 日本にいる家族は奥さんと子供2人の4人。モンゴルにはご両親と姉がいます。
- 高校、大学名は不明ですが、モンゴルで学ばれています。大学は相撲部屋入門のため1年半で中退されました。
- 相撲経験ゼロから入門。15年で初優勝を経験。通算連続出場記録を伸ばし続けています。
という結果となりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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