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今回は近江高等学校野球部を何度も甲子園に導き、全国レベルの強豪校に成長させた立役者多賀章仁(たがあきひと)監督をご紹介したいと思います。
多賀章仁監督率いる近江高校は2021年夏の甲子園ベスト4、22年春のセンバツでは準優勝という素晴らしい成績。特にセンバツでは、コロナで辞退校が出たための代替出場だっただけに、その手腕が大きくクローズアップされました。
春夏合わせて21回の甲子園出場を果たしている滋賀の強豪校・近江高等学校の多賀章仁監督とは、どんなプロフィールの持ち主なのでしょうか。
そこで今回は『多賀章仁監督の経歴や年齢等のwikiプロフィール!出身大学や高校はどこ?』と題しまして、多賀章仁監督について徹底的に探っていきたいと思います!
Table of Contents
多賀章仁監督の経歴
まずは多賀章仁監督の経歴について、スポーツライター・楊順行さんの記事などを参考にご紹介していきます。
多賀章仁監督は滋賀県彦根市のご出身。実家はお寺でした。
そんな多賀章仁監督が子供の頃から大好きだったのはやっぱり野球!「次の長嶋(茂雄さん)になるのは僕や」と思ったというエピソードもあります。
その後、京都の平安高等学校(現龍谷大学付属平安高等学校)→龍谷大学と進学し野球部に所属していましたが、目立った成績は収められずプロ野球選手の夢は断念。
いつしか“指導者”という進路が浮かんだといいます。
そして大学卒業後、1983年に地元彦根市にある近江高等学校に、社会科教諭として赴任される一方、野球部のコーチも務めます。
1989年に監督に就任。
1992年の夏の甲子園で監督として初めて甲子園の土を踏むと、以降は春夏合わせ20回の甲子園出場を数える名門校に成長しました。
多賀章仁監督の教え子から、プロ野球選手も誕生しています。
ちなみに、活躍中の現役選手では…
- 植田 海(内野・外野手|2014年阪神タイガース|ドラフト5位)
- 京山 将弥(投手|2016年横浜DeNAベイスターズ|ドラフト4位)
- 土田 龍空(内野手|2020年中日ドラゴンズ|ドラフト3位)
などの名前が挙げられます。
今後、どんな選手が甲子園で躍動し、近江高等学校から羽ばたいていくのかすごく楽しみですね。
多賀章仁監督の年齢等のwikiプロフィール
多賀章仁監督の年齢
多賀章仁監督は1959年8月18日生まれ、2022年の誕生日で年齢は63歳となります。誕生日については各種報道などで紹介されています。
近江高校の野球部監督に就任されたのが1989年(30歳)ですので、なんと33年も名門校を率いていらっしゃいます。
現在は副校長や社会科教諭も兼任されており、おそらく多忙な生活を送られているのではないかと思います。
多賀章仁監督の身長
多賀章仁監督の身長は公表されていません。
こちらは滋賀県の公式ツイッターから、2019年夏の甲子園の激励会の様子です。
主将の有馬諒選手(現在は関西大学)の身長は181cmだそうです。(※優勝盾を持った選手)
比較すると推定で170cmくらいだと思われます。
多賀章仁監督の出身地
多賀章仁監督の出身地は滋賀県彦根市です。
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彦根市といえば、彦根城やひこにゃんが有名ですね。
近江高等学校は彦根城のすぐそば!
ちなみに、前述の通りご実家は賢学寺というお寺だそうです。また、多賀章仁監督ご自身も僧侶の資格をお持ちなのだとか。
多賀章仁監督のwikiプロフィール
- 名前:多賀章仁(たがあきひと)
- 年齢:63歳(2022年8月時点)
- 出身地:滋賀県彦根市
- 職業:近江高校 野球部監督/副校長/社会科教諭
もはや名監督と言っても過言ではない多賀章仁監督。
甲子園での見事な継投がクローズアップされていますが、選手の活躍を支えているのは伝統のトレーニング“三角ダッシュ”なのだそう。
ホーム→レフト→ライトをコーナーにして三角形をつくり、1分以内に走り切るという過酷なもの。2021年夏のチームでは9本こなしていたと言いますからスゴイ。
こうした地道なトレーニングが強豪チームづくりに一役買っているんですね。
多賀章仁監督の出身高校
多賀章仁監督の出身高校は、京都府京都市の平安高等学校(現龍谷大学付属平安高等学校)です。
高校時代のポジションはファースト兼キャッチャーだったようです。
ちなみに、多賀章仁監督は高校時代にいい思い出はなかったそうです。
「私が中学3年のとき、平安は春、全国大会ベスト4、夏は同ベスト8の成績だった。そんな平安に憧れて、私も入学した。でも、そこから平安は低迷期に入ってしまった。そこで、高校野球の裏というか、嫌な部分が見えてしまったんです。私が在籍していた3年間で、監督が3人も代わったんですよ」
“引用:日刊ゲンダイ”
監督がころころと変わるのは、さすがに球児にいい影響を与えないですよね。
そんな経験も踏まえ、指導者として長年頑張っておられるのかもしれませんね。
ちなみに現在の龍谷大学付属平安高等学校の野球部監督をやられている原田英彦さんは、多賀章仁監督の高校時代の一年後輩なのだそうです。(3番原田、4番多賀という打順だったとか)
多賀章仁監督の出身大学
多賀章仁監督の出身大学は、同じく京都府京都市に本部がある龍谷大学です。
仏教系の大学ですが、プロ野球選手を多く輩出している野球の名門大学としても知られています。
多賀章仁監督は大学でも野球を続けられ、ポジションはキャッチャーとして活躍されていました。
大学4年生の頃から指導者の道を志されたようです。
まとめ
今回は『多賀章仁監督の経歴や年齢等のwikiプロフィール!出身大学や高校はどこ?』と題してお送りしてまいりました。
- 多賀章仁監督は1989年の監督就任後、春夏合わせて20回の甲子園出場を果たしている。
- 滋賀県彦根市出身。1959年8月18日生まれの63歳である。(2022年8月時点)
- 出身高校は平安高等学校(現龍谷大学付属平安高等学校)、大学は龍谷大学。監督になって初めて甲子園を経験。
- 現在は野球部監督であるとともに副校長、社会科教諭でもある。
という結果となりました。
今後も多賀章仁監督、そして近江高校の活躍が楽しみですね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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